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通信の歴史②〜TYK式無線電話機・携帯電話の原点

TYK式無線電話機は世界初の無線電話機です。
世界で初めて有線ではなく無線通信を実現しました。
TYKとは発明者3人の頭文字から取られています。
(逓信省電気試験所の鳥潟右一、合資会社石杉社(後の共立電気、アンリツの片方)の横山栄太郎、北村政次郎)
1912年に発明され、2008年には未来技術遺産(重要科学技術史資料)に認定されました。

※重要科学技術史資料とは、国立科学博物館が定めた登録制度により保護される文化財を指す。愛称は「未来技術遺産」。2008年(平成20年)10月9日第一回制定

今から100有余年前の1914年、産業が発展するなか海運の重要性が高まっていたこの時代に、TYK式無線電話機は三重県の鳥羽、神島、答志島に設置され、「本日は晴天なり、本日は晴天なり、こちらは鳥羽、こちらは鳥羽、神島、神島」という音声通信に成功。主に伊勢湾を航行する船舶の通過報として利用され、安全と安心に貢献しました。TYK式無線電話機は、今日のモバイル端末につながる世界初の実用無線電話機としてその名を残しています。
〈アンリツHPより〉

有線による電気通信が、電信から電話へと進んだように、無線通信も同じような道を辿りました。
世界で初めて実用化された無線電話機がTYK式無線電話機です。TYKとは開発者である逓信省電機試験所三人の頭文字です。主任技師の鳥潟右一、同僚で技師の横山英太郎、係長の北村政次郎です。製作は安中電機製作所〔現アンリツ(株)〕が担当しました。
当時の無線電信はパルス状の電波を発射する火花式で、音声のような連続する信号の電送には向いていませんでした。TYK式は鳥潟が留学中に見たレベル式無線電信機に着目、一九一二(明治四十五)年三月に三人で発明した直流式火花放電間隙を利用したものです。
TYK無線電話は発明と同時に実用化に向けて試験を重ねました。
最初の通話試験は五月十三日、木挽町の電気通信試験所と芝の逓信官吏練習所との約一・五キロメートルの距離で行われました。この日は皇太子殿下(大正天皇)が逓信省に行啓、諸種の実験設備を見学され、この実験では逓信官吏練習所からの送話を聞かれました。
続いて通話可能距離を調査する為、改定敷設船「沖縄丸」に東京湾内を回航させ、電機試験所との通話を行いました。この試験を四十キロメートルまでの通話に成功しました。
一九一三(大正二)年六月には日本郵船株式会社、東洋汽船株式会社、大阪商船株式会社の出願に応じて横浜、大阪、神戸、門司、長崎にある各会社事務室と各所属船舶数隻に無線電話機を設備し、通話試験を行いました。
これらの試験から改良を重ね、一九一四(大正三)年十二月十六日、伊勢湾口の鳥羽と七キロメートル離れた答志島、鳥羽から十四キロメートル答志島から七キロメートルの距離にある神島に無線電話機を設置し相互間で、船舶通過の連絡を執り行う実験を開始しました。この実験は成功、地元の人の商業的目的にも好評を得、一九一六(大正五)年四月十一日からはこの三カ所で世界初の無線電話による公衆通信の事務取扱が正式に開始されました。
その後、TYK式無線電話は外国で特許を獲得した他、イギリス、アメリカでは装置持参で立会い実験を行い、日本の技術の海外紹介に貢献しました。
〈郵政博物館HPより〉

ちなみに発売当時の価格は300円。
お米10kgが2円の時代ですから、現在の価格で10kg4,000円とすると約60万円ですね。
〈くらしを変えた日本の技術:独立行政法人国立科学博物館監修より〉

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