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よく分からないけどわかった、あるいは雨のこしがや能楽堂

そうか、だいたいわかった

仮面ライダーディケイド

よくわからないけどわかった!

烈車戦隊トッキュウジャー

世界の破壊者ディケイド、勝利のイマジネーショントッキュウジャーを引っ張り出してきてまで何がわかったというのでしょうか(しかもだいたい)

撮影:蜜柑屋
撮影:蜜柑屋

そうです、脳です。。農です。。。いや、能です能楽を鑑賞してまいりました。
もう1週間前の10月9日になりますが浮世絵や江戸文化に興味津々の身としては地元越谷市で行われる紅葉能のお知らせに素直に反応してしまったのですよ。
以前もこのこしがや能楽堂で薪能を鑑賞したことがありますが何年かぶり2回目です。

撮影:蜜柑屋

演目は狂言「水汲」、能は「松風」です。
以前から能鑑賞にはいきたいと思っていたのですが都内に出るのが(めんどくさくて)思うようにいかず、二の足を踏んでいました。
やはりYoutubeなんかで見るのと生はまるで違います。楽しみでした♪

【松風あらすじ】

ある秋の夕暮れのことです。諸国を旅する僧が須磨の浦(今の神戸市須磨区付近)を訪れます。僧は、磯辺にいわくありげな松があるのに気づき、土地の者にその謂れを尋ねたところ、その松は松風、村雨という名をもつふたりの若い海人の姉妹の旧跡で、彼女らの墓標であると教えられます。僧は、経を上げてふたりの霊を弔った後、一軒の塩屋に宿を取ろうと主を待ちます。そこに、月下の汐汲みを終えた若く美しい女がふたり、汐汲車を引いて帰ってきました。

僧はふたりに一夜の宿を乞い、中に入ってから、この地にゆかりのある在原行平(ありわらのゆきひら)の詠んだ和歌を引き、さらに松風、村雨の旧跡の松を弔ったと語りました。すると女たちは急に泣き出してしまいます。僧がそのわけを聞くと、ふたりは行平から寵愛を受けた松風、村雨の亡霊だと明かし、行平の思い出と彼の死で終わった恋を語るのでした。

姉の松風は、行平の形見の狩衣と烏帽子を身に着けて、恋の思い出に浸るのですが、やがて半狂乱となり、松を行平だと思い込んで、すがり付こうとします。村雨はそれをなだめるのですが、恋に焦がれた松風は、その恋情を託すかのように、狂おしく舞い進みます。やがて夜が明けるころ、松風は妄執に悩む身の供養を僧に頼み、ふたりの海人は夢の中へと姿を消します。そのあとには村雨の音にも聞こえた、松を渡る風ばかりが残るのでした。
the能.comより〉                                          

予習もしましたし、開演前に見どころの解説もしていただけるので大体は分かるのですが、何を言っているのかなんて言うのはほとんどわかりません。
狂言は比較的わかりやすく舞も多いので特に問題もなく鑑賞していました。
締めは「くっさめ!」ですし。

CMらしいです、よく知りません

この狂言を上演中に雨が降ってきました。最前列で見ていたのに座敷にあげられてしまいます。
恐れていたことが起こりました。
そうです、文化おばさまたちが周りにいっぱい。。(´;ω;`)
寝てる、話す、立ち上がって歩き回る、撮影禁止なのに写真撮りまくるとやりたい放題です。気が散るから一番前に行ったのに。。

まぁそれはしょうがないということで集中します。
するとだんだんわかってきました。
能楽とは理解するものではなく、想像するものなのですね。
その佇まい、見方によってどのようにも見える能面、空間を切り裂くような笛の音、鼓動を操る鼓、シテだのツレだの専門用語が理解できていなくてもきっとこの演目はこんな感情なのかな、こんな想いを抱いているのかなと想像することでその世界に入っていくものなのかもしれない、ということがなんとなく理解できるような気がしてきました。
もしかして源頼朝も同じように感じていたかも(まさか)

右大将頼朝公御能上覧図:月岡芳年

なんかとても贅沢な気分になれました。
ただ、傘を持っていなかったので帰りはドラッグストアにつくまでめちゃ濡れたことをご報告申し上げます。

帰り際に撮影しました

このところ仕事もそうですが、いろいろやりたいことが多すぎて困ります。
(仕事は多すぎても困りません)
仕事のない日は読書三昧な毎日です。2日に1冊程度の読書量ですが読みたい本がありすぎて。

越谷市立図書館

皆さんもお時間がありましたら是非図書館へ。新しい世界が待っているかもしれませんよ。

ということでだいたいわかった1日でした。あくまでだいたいですが。

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